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源平合戦所縁の寺 ・ 藤戸寺
   奈良時代創建の寺だが、この付近で源平合戦のひとつである藤戸合戦が行われた後に戦没者法要が当寺で営まれたことでその名が知られている。
     藤戸寺本堂
        本堂 江戸時代の再建で瓦には源氏方であった佐々木氏の家紋が入っている。

     大師堂藤戸寺
        本堂の左隣にある大師堂。渡廊下と繋がっている。 

     藤戸寺地蔵
         大師堂の向かい側にある地蔵  

     藤戸寺庭
         毎年6月に公開される客殿の庭 

     2藤戸寺沙羅
          この庭の見どころはこの時期にのみ咲く沙羅(夏椿)。平家物語の冒頭に出てくる沙羅双樹である。

     藤戸寺落沙羅
          このように朝に咲いて夕方には落ちてしまうので、人生の儚さと重なっているように感じてしまう。 
     
     藤戸寺手水鉢の沙羅
          手水鉢の中の沙羅。どことなく風情がありませんか。


     藤戸寺客殿の位牌
          客殿に安置された位牌で普段は本堂に安置されている。(左から佐々木盛綱・藤戸合戦戦没者・盛綱に秘策を与え口封じのために殺された漁師のもの)後ろの掛軸は藤戸合戦絵図
  
    藤戸寺佐々木盛綱
         源氏方の武将・佐々木盛綱の木像。江戸時代の天城藩士の作。        

     藤戸寺全景
  
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良寛和尚縁の寺  曹洞宗補陀落山・円通寺
  奈良時代に行基の創建と伝えられるが、現在の伽藍は江戸時代になってからのもの。良寛和尚は当寺にて約12年間
 修行したという。

  玉島円通寺本堂2
   本堂。 本堂の屋根が一般的な瓦葺きでなく茅葺きであるのが珍しい。
  玉島円通寺由来

  玉島円通寺鐘楼
   鐘楼と地蔵群。地蔵は最近のもの。
  玉島円通寺地蔵
    こちらのものは江戸時代からのものであろう。若き日の良寛を見守っていたのだろうか。
  玉島円通寺白梅
   本堂前に植えられていた白梅。
  玉島円通寺良寛堂
   修行僧たちの寝起場所であった良寛堂(右)と友松亭(左)。
  玉島円通寺庭
   庭園から見た友松亭。
  玉島円通寺紅梅2
   庭園内に植えられている満開の紅梅。桜はまだ先のようであった。
  玉島円通寺紅梅1

  玉島円通寺地蔵菩薩
    庭園内にある地蔵菩薩坐像。青銅製で1758年の作であるため、倉敷市重要文化財に指定されている。若き日の良寛を確実に知る仏様である。
  玉島円通寺歌碑
    境内にある大正・昭和に活躍した歌人、種田山頭火の歌碑。1936年に当寺にて詠んだ作品。
  玉島円通寺赤椿
  
  玉島円通寺良寛椿
   境内下の歴代住職の隠居所跡にある良寛椿。明治以降に植えられたらしく、良寛とは一切関係はない。
  玉島円通寺良寛像
   本堂左前にある良寛像。背後には禅堂・白雲閣と良寛記念館がある。

 
  玉島円通寺本堂1
   
春の吉備路・備中国分寺
   奈良時代に聖武帝の勅願により建立され、現在の伽藍は江戸後期に再建されたもの。
   IMG_2246_convert_20150502005314.jpg
     総門
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     本堂と大師堂。落ち着いたこじんまりとした建物である。
   IMG_2250_convert_20150502005340.jpg

   IMG_2229_convert_20150502005044.jpg
      五重塔と松 県下唯一の五重塔で当寺の代表的建物。
   IMG_2245_convert_20150502005246.jpg
      ここから見た五重塔は何故か素朴で落ち着いた雰囲気がある。
   IMG_2237_convert_20150502005117.jpg
      五重塔の側にひっそりとある地蔵とたんぽぽ  
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      裏手の竹林で偶然出くわした雉 貴重な1コマ。   IMG_2201_convert_20150502004938.jpg
     春の吉備路といえばこの風景・五重塔とレンゲ畑。画家・平山郁夫はこの風景を描き、その作品は中国銀行本店が
所蔵している。 

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   こちらは、草刈がなされ風情が感じられなかった。
   IMG_2193_convert_20150502004843.jpg

日本三名園の内・岡山後楽園
  1687年に岡山藩主・池田綱政の命により家老の津田永忠が着工、1700年に完成したがその後の歴代藩主の
  拡張整備により現在の規模となった。藩主のみでなく家臣・領民の観覧も許可されていた。

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        IMG_1331_convert_20140503225927.jpg
  藩主の訪問時の居間として使用された延養亭。明治天皇訪問時には宿泊所として使用されたが、1945年に
  戦災で焼失。現在の建物は戦後に再建された。      

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     延養亭曲水より見た築山・唯心山。
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     蘇鉄畑。
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  流店と杜若。奥には「伊勢物語」をモチーフにした八橋がある。
        IMG_1308_convert_20140503224840.jpg
  井田のレンゲと牡丹。当時はこの一帯が田畑であった。明治期に一部を残して芝生に植え替えられた。
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  唯心山より見た延養亭(左)と鶴鳴館(右)。当時の鶴鳴館は明治初期に焼失し、現在の建物は岩国の吉川邸を
  移築した。現在内部は、結婚式場としても一般開放されている。

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  唯心山より見た沢の池。沢の池に浮かぶ中の島には茶室があり、藩主が茶事を催した。現在もここで茶席を
  楽しむことができる。

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  廉池軒とツツジ。戦災焼失からも免れた築園当時からの建物。
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  沢の池より見た唯心山と岡山城。
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春の岡山城 2014
    南北朝時代の築城であるが、戦国時代末期に宇喜多直家・秀家の父子によって現在の規模となる。
  宇喜多氏以後は小早川秀秋が一時城主となるが、秀秋の死後は池田氏が城主となり明治維新となった。
  現在は本丸の城郭のみが整備され一般開放されている。

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        二ノ丸対面所跡地に建つ林原美術館。また周辺にある旧内山下小学校は西ノ丸御殿跡地であり、西手櫓が残されている。      
        不明門と石垣
       不明門。本丸・上段への通用門だが、明治維新までは、殆ど開門されなかった。

       不明門と桜
       不明門
       岡山城本丸
      本丸・上段にある天守。1597年に宇喜多秀家によって建造され、外観の色から烏城とも呼ばれる。
      1945年に空襲により焼失したが1966年に鉄筋コンクリートで外観復元された。
      天守前一帯には城主の居館である本丸御殿が明治維新まで存在していた。 

       岡山城天守と桜

       月見櫓周辺
       本丸・下段にある月見櫓。池田忠雄によって建造され、ここで月見宴が催されたことから名付けられた。
       1945年の空襲では焼失を免れた。
       またこの一帯には藩の政庁にあたる表御殿が存在し、城主はここで政務を行った。

       廊下門
       月見櫓と廊下門。当時の廊下門は名前の通り、本丸御殿と表書院を繋ぐ廊下があり、城主・家臣は
       この廊下門を使用して行き来していたため、前述の不明門が殆ど開門しなかったのもそのためである。

       城塀と桜
 
       IMG_1152_convert_20140403234807.jpg
       旭川よりの岡山城。









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